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1991 平成3年 20年目の変革期、雨男狩りとホエブス火災

     —最大の疑惑「山岳部に女の子はいらない」発言の真相—

     1月  湾岸戦争

     8月  ソ連 8月クーデター エリツィン登場

     12月  ソ連解体


    ?月?日    新人歓迎 (行き先不明)

    5月2日     春山  酉谷山

    6月22、23日 合宿訓練  七ツ石山、鷹ノ巣山

    ?月?日     夏山  川苔山

    7月24日      合宿  南ア 北部 甲斐駒ケ岳、仙丈ヶ岳、間ノ岳、北岳

      〜8月3日               (市川バージョン)

    ?月?日     秋山   (行き先不明)

    11月23、24日  晩秋   甲武信岳

    ?月?日     冬山   滝子山

    3月25、26日 追い出し  六ツ石山

 

     部長  高橋 悟    顧問  増坪一三  市川ノゾム  重光哲郎  峯 薫

1年生 (23回生) 田上幸太  有原友一  森田 崇  谷岡洋平  仲元一博

  増田英之  渡辺雅彦

2年生 (22回生) 高橋 悟  武内義弥  大内宏太郎  賀谷幹夫  小池香織

  小原一恵  増田耕太

3年生 (21回生) 佐藤浩司  藤森文乃  鬼塚夏海  三井田智博

  部員数18名

 <エピソード>

・春山 枝に付いた水滴を後ろの人に落としながら歩く悪戯がはやる

・   賀谷が山蛭に噛まれた

・   市川先生の速いこと速いこと

・合訓 テントの中でホエブスが火を噴いた!!

・   あわてて外に出したら漏れたガソリンに火が点いた!!!

・   その火を素早く踏み消した武内先輩に感謝。by田上幸太

・合宿 塩、醤油のたぐいを忘れたためダシの風味しかしない雑煮

・   朝にチキンラーメンを食べるものではない

・   雪を食べるために間ノ岳に寄り道したが雪は無かった

・冬山 部員が4人しか来なかった!?

・   山を下りてきたらふもとで祭をしていたが

     市川先生がズンズン行ってしまうので涙をのんだ

・追行 三井田さんがバーベキューの鉄板の上に勝手に縄張りを作った

・   増田(耕太)君の幽霊騒動

 22回生の高橋部長は在学中に自転車で東北を一周して、その冒険をくにわけに「東方見聞録」という題で連載した人で、どこか不思議な英雄性を持った人でした。ところがつい最近その大バカヤロウの一面が白日の下にさらされ始めたのです。それはオリエンテーションでの事だそうです。高橋部長が山岳部のブースにいたところ実に珍しい事に1年生の女子が(一人か複数かは忘れました)「山岳部に入りたいんですが・・・」とやってきたのです。そこで普通なら大歓迎するべきところをこの高橋部長は信じ難い事を言い放ったのです。あろうことか「女子はいらない」と。そう言われたその女子は気の毒なことに引き下がざるをえなくなってしましました。後でこれを知った他の部員は当然「なんて事をしたんだ!」と激怒し、23回生の田上幸太さんらはその女子を捜したそうですが、とうとう向こうから名乗り出ることは無かったということです。まったく自分と同じ代の小池香織さんの事を高橋部長はどう考えていたのでしょうか。困った人です。(これについて大全に本人の寄稿があるので汚名返上のため転載します。)

 ところでこの1991年は行く山行く山で雨に降られたそうです。春山、合訓、夏山、合宿2日目、5日目、で降られ、寒い季節には雪に見舞われました。91年度になってからあまりにも雨が多いという異常事態を前にして鉄の絆を誇った山岳部にもとうとう「雨男は誰か?」という魔女狩りが始まったのです。そして参加回数から田上幸太さんと谷岡洋平さんのふたりに絞られたのち、「ジャンケンの結果」谷岡さんが雨男であることが「判明」したのです。ところでこの田上次期部長は小柄なわりに驚異の胸囲1メートルを誇り、仲間内ではマッチョ(本人は大変嫌がる)と呼ばれていました。そしてこの田上さんこそ高校進学にあたって「山岳部があるから国分寺を選んだ」初めての山岳部員ではないかと思うのです。大抵は「いつの間にか山岳部・・・」とか「何か運動部に入りたくて」や「友達に誘われて・・・」というタイプが多いのではないでしょうか。いつの間にかKACも20年の歴史を持つに至り、ひとつの到達点に達していたのかも知れません。

 

この当時の部誌(個人原稿)を読む

 付録   『今明かす』    

 

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