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1990 平成2年 第4時代の黎明、「くにわけ」ライター全盛期

     —ズマド山の陰謀か!? 文才が裏目に出た「農協ごはん」—

     4月  株価大暴落 のち土地も暴落 バブル崩壊へ

     8月  イラク、クウェート侵攻

     10月  東西ドイツ統一


    ?月?日    新人歓迎 川苔山

    ?月?日     春山   滝子山

    ?月?日    合宿訓練 (行き先不明)

    7月23日    合宿   南ア 中部 塩見岳、農鳥岳、間ノ岳、北岳

      〜28日                (白根三山縦走)

    11月12日    晩秋   ソバツブ山

    2月24日     冬山   三頭山

    3月25、26日  追い出し  雲取山

 

     部長  佐藤浩司    顧問  増坪一三  市川ノゾム  奥 保善  重光哲郎

1年生 (22回生) 高橋 悟  武内義弥  大内宏太郎  賀谷幹夫  小池香織

  小原一恵  増田耕太

2年生 (21回生) 佐藤浩司  藤森文乃  鬼塚夏海  三井田智博

3年生 (20回生) 河村高光  牧 英樹  北村忠史  蛤谷志乃  中村詩子

  部員数16名

 <エピソード>

・「国分寺高校のソクラテス」市川ノゾム先生着任

・新歓 「リーダー分岐です!」「よし行け!」

・   落としたブロッコリーは「地球の味がした」(高橋クン談)

・   ズマド山愛好会の陰謀

・春山 草笛が流行 あっちこっちでピーピーうるさい

・   ぶちゃうが犬にピースした 「とっさの判断」(ぶちゃう談)

・   賀谷君が歌いまくっていた

・合宿 賀谷君とぶちゃうが寝言で会話していた

・   「30万8千円・・・」「また寝言言っちゃったぁ」賀谷君の寝言

・   増田君の不思議ないびき

・   部長は寝ながら「うーー」とうなっていた

・   増坪先生が奥さんの事でのろけた

・晩秋 「助けてくれー」と叫ぶ変な団体がいたが見捨てた

・追行 古い古いレコード発見

・   オガワテントの最高記録 19人を収容!?

・   玉葱とひき肉から本格ミートソーススパゲティに挑戦

 この年を第3期とするか第4期とするかはなかなか難しい問題です。1990年、市川ノゾム先生が国分寺高校に赴任し山岳部の顧問に就かれました。その底知れぬ知性から「国分寺高校のソクラテス」と呼ばれ、またその髪型からはベートーベンとも言われる市川先生は、失礼ながら増坪先生とは比べ物にならない山のキャリアを持っています。もとから「山岳部を引き受けてくださる先生が来るまでの場つなぎ」と自称していた増坪先生はやがて市川先生に第一顧問を譲ることになるのですが、それまでは「第3期増坪先生時代」としたいと思います。山岳部に本当の変化が訪れるのにはもう少し待たなければならないからです。

 さて21回生が少なかったことで心配された部員数の問題は22回生が7人も入ったことで一気に解決しました。この22回生の特徴は小池香織さんを除いた男子全員が「くにわけ」のライターであることです。ここでは分かっている限りのペンネームを紹介しておきます。まずは「むひひ」もしくは「むはは」が高橋悟さん、「おおやん」が大内宏太郎さん、「いずみのあきら」が小原一恵さん、「DEMONS」が賀谷幹夫さん、そして増田耕太出版委員長が「ろでます」の名でくにわけ史に燦然と輝いています。竹内義弥さんのペンネームは手元の資料では不明です。また21回生の鬼塚さんは「なつみかん」、藤森さんは「ぶぶんぶ」がペンネームだそうです。これまでの生徒会室に替わって、この頃は印刷室が部員のたまり場になっていました。

 山でのエピソードとしては新歓で「リーダー!分岐です!」「よし行け!」と言って「崩れている」の方へ行った変なパーティーのおそるべきリーダーシップがしばらく笑いの種になったようです。他にもこの新歓では「ズマド山愛好会」という訳の分からぬ団体の旗を発見したりしていますが、その辺りのことはあまり詳しく書かれていません。この年の部誌15号「農協ごはん」はかゆいところに手が届かない部誌です。ひとりひとりの文章力はとても高いので個人原稿は面白いのに、山行の日時が書いていなかったり記憶が曖昧だったりするのです。

 

この当時の部誌(個人原稿)を読む

 

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