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1992 平成4年 山岳式帝王学、初めての新幹線

     —怪我の功名で生まれた「時間差引き継ぎ」による継承—

     1月  ブッシュ大統領来日 晩餐会で倒れる

     9月  公立校で第2土曜日が休日に制定

     9月  毛利衛さん宇宙へ

     10月  長嶋茂雄、監督復帰


    4月26日    新人歓迎  川苔山

    5月31日    春山   酉谷山

    6月20、21日 合宿訓練  六ツ石山、鷹ノ巣山

    7月12日    夏山   川苔山、ソバツブ山

    7月27日    合宿   南ア 南部 聖岳、赤石岳、荒川前岳

      〜8月1日              

    11月3日    秋山(1) ノコギリ山、大岳山

    11月22、23日  秋山(2) 雲取山 長沢背稜

    2月21日     冬山   滝子山

    3月26、27日 追い出し  雲取山

 

     部長  田上幸太    顧問  増坪一三  市川ノゾム  重光哲郎  峯 薫

1年生 (24回生) 小菅聡一郎 小川智紀

2年生 (23回生) 田上幸太  有原友一  森田 崇  谷岡洋平  仲元一博

  増田英之  渡辺雅彦

3年生 (22回生) 高橋 悟  武内義弥  大内宏太郎  賀谷幹夫  小池香織

  小原一恵  増田耕太

  部員数16名

 <エピソード>

・合宿

・1日目 東京駅集合 新幹線で静岡へ

・    1年生の小菅、不覚にも新幹線に酔い、バスにも酔ってグロッキー

・2日目 雑煮の後の大鍋洗いに手間取り小菅のパッキングが遅れる

・    仲元先輩が過呼吸症候群になる!

・    小川、つま先立ちで歩こうとする

・    市川、峯両先生、小屋の主人に招かれて宴会

・3日目 小菅、ぶんぶく茶釜にされる

・4日目 ヲガワ遭難!?

・    市川先生、日焼けしたところにラー油をこぼす

・    小池さんがふえるワカメちゃんを入れすぎて大変

・5日目 マーブルゲルとマーブルゾル!?

・2学期 次期部長の小菅はウイルス性肝機能障害で全面的運動禁止措置発令

・    文化祭で「渡り廊下」に出展!!

・3学期 小菅部長 部誌発行に失敗

 この年の新1年生は小菅聡一郎と小川智紀の二人だけでした。さぞかし焦ったでしょう、と後に田上部長に聞いたところ「いやお前らだったから大丈夫だと思ってたよ」と力強い発言。恐縮の極みです。しかし振り返ってみるとよくこんな1年生を見て大丈夫だと思ったものだとこちらが思うくらい1年目の24回生は頼りなかったはずです。なぜなら二人とも山岳部の活動に集中していなかった、もしくは集中出来なかったからです。小川君の方は出版委員会と総務の会計か何かで多忙を極めていました。彼は「∅∫(空集合インテグラル)」3年生になってから「上田古古米」というペンネームを使い、毎月異常な量の原稿をくにわけに掲載していました。それでも小川君はとうとう最後まで委員会に入ることはなかったので「史上最強のヘルパー」としてそろそろ伝説になっている頃でしょう。かたや合宿において早くも次期部長に指名されていた小菅の方はというと2学期になって風邪をこじらしウィルス性肝機能障害に陥ってしまい、山行はもちろんあらゆる運動にドクターストップがかかってしまいました。悪いことに同じ時期に足底筋剥離というのもやったので結局小菅は合宿の後追い出しまで参加出来ずに過ぎたのです。こうしてこれまで秋山あたりにやっていた部長の引き継ぎは小菅次期部長の復帰となった追行での引き継ぎに引き延ばされ、それ以降の引き継ぎも追行で行うのが慣習となったのです。

 これはまさしく怪我の功名でした。小菅以降の部長は合宿後に「指名」され追行までの約半年間を「帝王学」の研修に使えるようになったのです。そして部長以外の役職は「習うより慣れろ」の精神で1年の秋には引き継いで追行までの半年間を2年生部長の指導を受けるのです。これぞ「時間差引き継ぎ」。第4期山岳部の大きな特徴です。そしてこの年かぎりで増坪先生が体操部の顧問に専念する事になり山岳部を勇退されます。自称「場つなぎ」は8年もの長きにおよび、確実にひとつの時代を築いて、そして継承されて行くのです。

 

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