1988 昭和63年 伝説の一大勢力「山岳部総務」の出現
—ブンジの実権を独占、「部室化」された生徒会室—
6月 リクルート疑惑発覚
12月 東証平均株価、史上最高の30,159円に(28日 大納会)
4月27日 新人歓迎 鷹ノ巣山
5月22日 春山 滝子山
6月25、26日 合宿訓練 六ツ石山
8月5日 合宿 南ア 南部 (ショートバージョン)
〜10日 聖岳、赤石岳のみ
10月1、2日 秋山 北陸 磐梯山(史上初)
11月23日 晩秋 丹沢 塔ノ岳
3月18、19日 追い出し 大菩薩嶺
部長 清水高徳 顧問 増坪一三 小苅米美津子 鈴木智香久 古沢佑一
1年生 (20回生) 河村高光 牧 英樹 北村忠史 蛤谷志乃 中村詩子
2年生 (19回生) 清水高徳 草間俊一郎 大塚健郎 鈴木道雄 野口貴之
羽多野敏郎 村山千春 宮嶋謙吉 森川健太郎 渡辺一成 飯野福哉
3年生 (18回生) 澤渡朋之 田浪亜央江
部員数18名
<エピソード>
・新歓 雨、あられ、雹、雪と降られた
・春山 森川、羽多野、沢に迷い込む
・ 昭和23年の地図!?
・合宿 ガリクソン野田が、スキヤキとスキヤキ丼を間違えて買って来た
・ 草間君がドライカレーを水浸しにした
・ またもや草間君が赤飯とご飯を間違えた
・ 鈴木、渡辺の食当名コンビ
・ 5日目夜、原始健郎がイワナを釣って食事に華を添えた!!
・ たわしがネズミに見えたらしい
・ 草間の懐メロ特集に増坪先生ひっくり返る
・秋山 ディズニーランド経由で磐梯山に来た滋賀の修学旅行生がいた!?
・ その修学旅行生のアベックに村山が強烈な嫉妬
・ ジフィーズに水を張って置いておいたら出来てしまった!
・ 小苅米先生が味噌を半分も一気にぶち込むという主婦らしからぬ事をやった
・森山健太郎、野口貴之_生徒会長 草間俊一郎_生徒会会計
今でも語り草になっているお話ですが、19回生の野口さんは1年の時の合宿で、始発に乗っても集合時間に間に合わない事を知り、なんとその前の晩からやって来て高尾駅のベンチで夜を明かしたという事です。これには一同びっくり、良い子は真似をしないように、といったところでしょうか。前項でも書いた通り19回生の森川さんとその野口さんは生徒会長の経験者であり、会計に草間さんを加えて3人だけの100%山岳部総務を作り上げました。この3人という人数の背景には、当時はたとえ定員に満たなくとも立候補期間中に出た人数だけで選挙を行い信任されればそのまま発足させていた、という今とは違った事情があります。彼らはたった3人にもかかわらず木もれ陽祭を見事に取り仕切ったというのですから、その行政手腕たるや大したものです。
そしてこの瞬間、山岳部総務の出現によって生徒会室の「部室化」は極まったと言えるでしょう。増坪先生によると「部員に会いたければ生徒会室に誰かがいたし、部の備品もあそこにあった」ということです。この究極の癒着は一朝一夕になったものではなく、15回生の畑中秀和生徒会長からの流れというものがあります。その後16回生の栗原信敬さん17回生の松野美佐さんが会長経験者として続きました。さらに18回生の田浪亜央江さんは副会長だったという事ですが、どうも立候補の結果、会長のいない総務での副会長だったようで実質的な生徒会長だったという事です。それに19回生の野口さん森川さんの二人が続き、山岳部から山岳部へと生徒会室が引き継がれていったのです。松野さんによると当時は「女なんかに会長をやらしてたまるか」と平気で言う男がいた時代だそうです。もしかしたらその後の田浪さんが副に留まったのにはそういう背景もあったのかも知れません。
15〜19回生というのは他にもいろいろな人がいて、15回生の佐々英徳出版委員長や16回生の河村剛太出版委員長、また木もれ陽祭運営委員長を田浪さんや野口さんがやっていますし、増坪先生の話では生徒会長、中央委員会議長、出版委員長の「ブンジ三役」をすべて山岳部でおさえた事もあったそうです。