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1987 昭和62年 電撃寿、個性派新人10名の参入

     —時代の幕開けを感じさせる吉報を届けた一年—

     3月  安田海上火災がゴッホの「ひまわり」を58億円で落札

     4月  国鉄分割民営化、JRグループ発足


    4月19日    新人歓迎  鷹ノ巣山

    ?月?日     春山  川苔山

    ?月?日    合宿訓練  六ツ石山

    7月31日     合宿  南ア 中部 塩見岳、農鳥岳、間ノ岳、北岳

      〜8月5日              (白根三山縦走)

    10月1、2日   秋山   中央ア 木曽駒ヶ岳(史上初)

    11月3日     晩秋   奥武蔵 武川山、二子山

    3月26、27日  追い出し  御前山

 

     部長  澤渡朋之    顧問  増坪一三  小苅米美津子  鈴木智香久

                 古沢佑一  篠原有太

1年生 (19回生) 清水高徳  草間俊一郎 大塚健郎  鈴木道雄  野口貴之

  羽多野敏郎  村山千春  宮嶋謙吉  森川健太郎  渡辺一成

2年生 (18回生) 澤渡朋之  田浪亜央江 本田浩司

3年生 (17回生) 内田修司  長谷川崇  清水俊雄  村上卓也  松野美佐

  鴨下 潔  宮成節子

  部員数20名

 <エピソード>

・増坪先生 電撃結婚

・春山 バスを降りたあと羽多野くんが車酔いでひっくり返っていた

・   野口君もひっくり返っていたがよく見たらストレッチだった

・   江口OB、手に1斤の食パンを抱えて曰く「おれのひるめしだ」

・   さわんど氏、再び田浪亜央江嬢に帽子を焦がされる!

・   羽多野くん1リットルジュースを一人で飲み「腹が痛ぇ」と呻く

・合訓 野口の超薄切りニンジン

・   大塚がヤマメを釣った!? 大塚=原始=健郎の本領発揮

・   先生テントからカップ酒の瓶がふたつ出てきた…

    「お酒は持ってきてないよ」と言っていた古沢教授のものだと思われる

・合宿 国分寺駅で増坪先生の奥さんが柱の陰から手を振っていた

・   4日目、OBが朝食をボイコット

・   大清水(清水俊雄)先輩、転んで「中清水」に格下げ

・秋山 虹の輪の中に立つ!!

・次期部長が内定していた森川健太郎が生徒会長になったので清水高徳が昇格

 ある日、澤渡部長が増坪先生のアパートに電話をかけたところ、長い呼び鈴の末に突然女性が電話に出たため慌てて切ってしまったという事がありました。その時は何が何だか分かりませんでしたが、やがて増坪先生が電撃結婚(「電撃」は余計ですね)されたため、あの女性は後の奥さんだったのかという事で落ち着きました。まだ結婚はしていなかった奥さんは、たまたま先生が留守の時にかかってきた電話に「長い呼び鈴」のあいだ出ようか出まいか考えていたのでしょう。その様子が目に浮かぶようです。その奥さんは合宿出発の朝、国分寺駅まで先生を見送りに来て生徒に見つからないように柱の陰から手を振っていたのを澤渡部長はチェックしています。

 さて18回生が少なかった事で危惧された部員数の問題は「部長のカリスマ」により新1年生が10名も入ったことで万事解決。それもなかなか個性的なメンバーがそろいました。野口さんの紹介によると「妙に明るい清水さん、茶道部でも活躍の草間さん、どこでも釣りができる大塚さん、のちに東大へ進んだ鈴木さん、遅刻の常習犯の野口さん、懲りない羽田野さん、さわやかな村山さん、普通の宮嶋さん、アンブルも兼ねていた渡辺さん、北岳診療所に惹かれて医学の道に進んだ森川さん」だそうです。このうち森川さんと野口さんは生徒会長経験者でもう一人草間さんを加えて3人だけで総務を切り盛りした事もあったそうですが、詳しい事はのちほど書きたいと思います。とにかく次期部長候補だった森川、野口の二人が総務に立候補したため一番の体力の持ち主の清水高徳さんが部長になりました。17回生の清水俊雄さんが「大清水」19回生の清水高徳さんが「小清水」と呼ばれましたが大清水さんの方は合宿3日目にコケたことで「中清水」に格下げになったそうです。18回生の方もバラエティに富んでいました。1年と2年の時の合宿にしか来なかった本田さんや、こちらも生徒会を背負った田浪さん、生まれながらのOBと言われる澤渡さんです。田浪さんはよく澤渡さんの帽子を焦がし、その澤渡さんは山でよく財布を無くしたそうです。

 

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