1985 昭和60年 幻の部誌9号「ぶよ」10号「Ab‐」出版
—水ものカレーとダンボ、多摩高女子に彩られた安定期—
3月 「素晴らしい笑顔と鉄の歯」ゴルバチョフ登場
3月 つくば科学万博開催
8月 御巣鷹山に日航機墜落
9月 任天堂「スーパーマリオブラザーズ」発表
9月 プラザ合意 円高 金利引き上げ バブル経済到来
4月21日 新人歓迎 鷹ノ巣山
5月12日 春山 丹沢 塔ノ岳
6月22、23日 合宿訓練 (行き先不明)
7月22日 合宿 南ア 中部 塩見岳、農鳥岳、間ノ岳、北岳
〜27日 (白根三山縦走)
10月1、2日 秋山 八ヶ岳 北部 硫黄岳
11月10日 晩秋 奥秩父 熊倉山
3月28、29日 追い出し 三頭山
部長 川村剛太 顧問 増坪一三 古沢佑一 奥 保善
1年生 (17回生) 内田修司 長谷川崇 清水俊雄 村上卓也 松野美佐
鴨下 潔 宮成節子
2年生 (16回生) 川村剛太 篠原京子 栗原信敬
3年生 (15回生) 江口照寿 石黒 淳 小倉 和 五島隆子 佐々英徳
畑中秀和 山田健治 佐藤雅哉 鈴木 愛 横尾有紀子
部員数20名
<エピソード>
・新歓 増坪先生が主婦団に襲われる
・合訓 長谷川のキスリングのひもが壊れた
・ ご飯に濾されて、ただ具がのっているだけの水ものカレー
・ 石黒先輩のかきのたねの缶
・合宿 多摩高校山岳部女子と行程を同じくし元生徒会長栗原喜ぶ
・ アリのような小学生たち
・ 川村が道を間違え他のパーティーにも迷惑をかける
・ 内田が「おれの男にしてやる」と鴨下に襲いかかった
・ ひとり静かに絵を描く奥先生
・ 熊ノ平の急斜面を登ったところのテント場
・ プロレスラーのような多摩高女子
・ ダンボ長谷川
・ 川村君の岩、増坪先生の「かくしげい!」
・晩秋 「車内には死体を持ち込まないように」
・佐々英徳、川村剛太_出版委員長 栗原信敬、松野美佐_生徒会長
ただでさえ少なめだった16回生の一人が引っ越してしまったのでどうなることかと思われましたが、その16回生に生徒会長の栗原信敬さんが入部し、さらに1年生の17回生が最終的に7人になったので人数の面でも山岳部は安定してきました。また物理の権威古沢教授が顧問団に加わりました。自ら「次に顧問を引き受けてくれる人が現れるまでの場つなぎ的存在」を自認していた増坪先生でしたが、「古沢先生は酒量がちょっと・・・」と引き継ぎを躊躇したとかしないとか。
合宿では新宿駅に集合したときから多摩高校女子山岳部と行程を同じくしたので、彼女達の前では男子が非常に張り切ったことが書かれています。また塩川小屋からの登りで100人くらいの小学生の集団とも一緒になり、その笛の音に合わせての行動と行列ぶりを評して「蟻のようだ」とは川村部長の言葉です。この年の合宿は天気に恵まれたようで恵まれすぎた長谷川さんは露出させていた耳を水脹れのように腫してしまい、ついた名前が「ダンボ長谷川」。さらにそれを北岳診療所で治療してもらったところガーゼで耳を覆ったために今度は「ロバのようだ」と言われてしまいました。
これらの事はこの次年度初頭に発行された部誌10号「Ab‐」(あぶ)によって知ることが出来ます。59年度の部誌は「ぶよ」でしたので、ある程度「げてもの路線」が確立されました。「ぶよ」とは58年度に出せなかった幻の部誌の名前で、58年度の合宿の北荒川テント場でのぶよのカーニバル(謝肉祭)がその由来だということです。また「あぶ」の由来はというとアブノーマルの「あぶ」とも言われていますが、我々には計り知れない別な由来もあるようです。「あぶ」にはちょうど部誌が発行されなかった3年間を含む時代の部員の名簿が付いています。幽霊部員までは書かれていないのでそこから部員の数を判断することは難しいのですが、住所と電話番号だけでも後の部員にはありがたい資料になるのです。