1976 昭和51年 南アルプス南部、嵐の敗退
—大所帯の翌年に部員減少の危機あり、反動のジンクス—
1月 周恩来没
2月 ロッキード事件発覚
7月 田中角栄逮捕
9月 毛沢東没
5月9日 新人歓迎 御前山
6月19、20日 合宿訓練 鷹ノ巣山
8月2〜8日 合宿 南ア 南部 聖岳のみで敗退
1月15、16日 冬山 大菩薩嶺
4月2、3日 送別 飛竜山、雲取山
部長 鈴木博実 顧問 高原 将 鈴木弘久 宮本潤子
1年生 (8回生) 佐藤 寿 中野 聡
2年生 (7回生) 鈴木博実 古谷英之 松村勇人 西木英人 谷川有一
山田宏司 春川文男 細渕 茂 柳田浩貴
3年生 (6回生) 石黒祐志 伏見一彦 田中靖生 大山信也 為我井信二
中島孝郎 替地律子 小林桂子 杉原敏夫 河原千津子
部員数21名
<エピソード>
・また少なかった新1年生
・雨の合宿
・とかげ会の南ア全山縦走の断念
・久しぶりの文化祭
・1年半のブランクの後、部誌4号発刊 9月
前の年の大量入部でなんとか約束されたかに見えた山岳部の未来はこの年の新1年生が2人という現実の前に早くも先行きに不安感が漂いはじめてきました。「アピール不足が原因か」と反省されていますが恐らくその通りで、なまじ部員が多いとその人数に甘えてしまうのか次の年に新1年生の獲得に失敗するという事がこれから何度か見られます。ところでこの年から反省会の内容やトレーニングの経過などを記したノートが部室に残されており手持ちのデータが豊富になりました。この年(76年度)はまだ反省会の内容も硬いものが多いのですが、いずれはいろいろなエピソード等が書き込まれてきます。
この年のエピソードは、大部分を高原先生の文章に依りますが、雨の合宿の事を避けては通れません。この年の合宿は南ア南部6泊7日でした。今の部員には想像もつかないでしょうが、新幹線を使わなかったため当時は朝の9時に品川を出発してもその日のうちにアルプスのふもとまで行けなくて井川で1泊したのです。ちなみにこの前回は夜行を使っていますがそっちよりはいいとの判断で6泊7日になったようです。この合宿には前年結成されたとかげ会の土橋、鶴上、中川、鈴木(克)各氏が高原先生と南アルプス全山縦走を目指し、途中の三伏峠までを部と行動を供にする計画でした。ところが2日目からの雨がすべての計画を洗い流してしまいました。予定では2日目は茶臼小屋まで行って翌日光岳をピストンする予定だったところをウソッコ沢小屋までしか行けず、さらに3日目にしてようやく茶臼小屋に着くもそこでストップ。4日目は嵐のためにテントをたたんで茶臼小屋に避難し1日停滞。5日目になってようやく晴れた隙をついて聖岳をピストン。「残念ながら行けなかった赤石、荒川岳を望んだのであった。」ということです。もちろんとかげ会の企ても失敗してしまいました。この年を最後に鈴木先生が転任され送別の意味を兼ねた追行には24名の多きを数えたとのことです。