1975 昭和50年 初代OB会「とかげ会」結成
—大量入部、復興の陰に女性顧問と卒業生サポート—
4月 サイゴン陥落 ヴェトナム戦争終結
11月 第1回サミット
5月18日 新人歓迎 鷹ノ巣山
6月21、22日 合宿訓練 本仁田山
8月8〜14日 合宿 南ア 中部 北岳、塩見岳(白根三山)
9月27、28日 秋山 雲取山
11月9日 紅葉 川苔山
4月2、3日 送別 雲取山
部長 石倉祐志 顧問 高原 将 鈴木弘久 宮本潤子
1年生 (7回生) 鈴木博実 古谷英之 松村勇人 西木英人 谷川有一
山田宏司 春川文男 細渕 茂
2年生 (6回生) 石黒祐志 伏見一彦 田中靖生 大山信也 為我井信二
中島孝郎 替地律子 小林桂子 杉原敏夫 河原千津子
3年生 (5回生) 小口 充 鈴木克之助 野口和紀 藤野はるみ 石黒京子
佐藤知美 黒田尚文
部員数26名
<エピソード>
・大量の新人
・雨の合訓
・フランクフルト
・谷川が秋山でテントのポールを忘れた
前の年あれほど思い悩まされた部員数の問題は、神の奇跡か悪魔の悪戯かそれとも部員の日々の精進の賜物か、新1年生8人2年生8人もの大量入部によって解決し、逆に新人の名前を覚え切れないOBが思い悩む結果となりました。また「女子の部員がいるのに女性の顧問がいないのは困る、何とかして欲しい」という希望が入れられて司書の宮本さんという方が顧問団に加わりました。教育委員会の取り決めでは女子の参加する宿泊山行には女性の顧問が必要なのだそうです。残念ながら部誌3号が74年の春に出た後4号までの間がおよそ1年半あいてしまったため、この年のことは部誌にも山行の日時と行程くらいしか残されていません。限られた資料から読み取れるのは、合訓に28人が参加しさすがにこれでは多すぎるのではないかとの声が上がったこと、また好評だったのか天ぷらが再登場し、流しそうめんが採用されたがあまり評判が良くなかったようだということなどが分かります。
そして一番の出来事は2回生の鶴上・土橋の2大OBを中心にOB会を結成したことです。その名も「とかげ会」。名前の由来についてはちょっと抜粋します。「暖かな石の上で恐竜の縮小版のような石竜子が昼寝をしているのを見て、実にうらやましかった。そんなところからつけられた名称である。人間があくせくして山に登ってはいけない。あくまでも、あそびでなくてはならない。」(部誌6号鶴上さんの文章より)。ちなみに「とかげ」を漢字で書くと「石竜子」となります。「いしりゅうこ」という人の名前ではありません。この「とかげ会」の主な活動内容は部の山行にOBを派遣することですが、それ以外にもとかげ会独自の山行を計画したり会報の発行などもあるとのことです。とかげ会報は2号、3号、5号が部室に現存しています。ここから先は土橋さんと5回生の石黒京子さんにお聞きしたのですが、とかげ会の活動は何も山に限ったものではなく、車でドライブに行ったりキャンプみたいな事もして大学のサークルのように「楽しく」やっていたとのことです。その結果なのでしょう、その土橋さんと石黒さんは現在ご夫婦でいらっしゃいます。