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1973 昭和48年 参るストーン、おまけボーイ誕生

     —試行錯誤の跡は歴史の先頭を走り、伝統となった—

     1月 ヴェトナム和平協定成立 アメリカ撤退(3月)

     10月 第4次中東戦争勃発 オイルショック


    5月13日   新人歓迎   鷹ノ巣山

    6月3日    沢行    川苔本谷

    6月18日  合宿訓練   六ツ石山

    8月2〜8日  合宿(1)  南ア 南部 聖岳、赤石岳、荒川岳(悪沢岳を断念)

    8月21〜24日 合宿(2)   奥秩父 金峰山、瑞牆山(女子合宿として企画)

    9月26、27日 秋山(1)   乾徳山

    11月25日    秋山(2)  本仁田山、川苔山

    4月2、3日 卒業生送別  飛竜山、雲取山

 

     部長  中川 充    顧問  高原 将  柳下惇夫  犬飼健夫

1年生 (5回生)  小口 充  鈴木克之助  野口和紀  藤野はるみ  石黒京子

  佐藤知美  黒田尚文

2年生 (4回生)  中川 充  岡田良司  前山浩一  西沢利重子  苗代幅照子

  岩間正巳  富山裕子  石浜良行

3年生 (3回生)  二木淳吉  棚橋 乾  栗原明雄  小島正次

  部員数19名

 <エピソード>

・ゴミ拾いを兼ねた新歓

・初めての沢登りで初めての事故!

・ドバシ式はかりを国立駅に置き忘れる!?

・OBという変な存在

・雨をすって重いテント

・チーズ天ぷら

・食べづらいフランスパン

・初めての送別山行

 この年もパイオニア精神あふるる一年でした。部長の中川充さんは生徒会長もやった方で、山岳部の食事をおいしくした人と言われています。まず新歓では合流山行の形式を取り、山のゴミ拾いを兼ねました。次は6月に沢行を行いました。つまり沢登りです。山岳部史上唯一の(?)冒険の結果、山岳部史上初めての事故があったようです。どうも雨のための増水が原因のようですが「某さんがザイルから手を離し、怪我をする」とあるだけでいったい誰なのかは分かりません。沢行については「今なら教育委員会の許可は得られない」と1978年頃に高原先生は書いています。ところで合訓で石を背負うのはこの年から始まりました。よって六ツ石山頂に散乱している丸石はまさしく国分寺高校山岳部の「参るストーン」なのであります。またこの年の大きな特徴は合宿が2回あった事です。ひとつはいつもの南ア合宿、もうひとつは女子部員を中心に企画された女子合宿で奥秩父に行きました。男女の体力差を考えた結果なのでしょう。

 またこの年から「OBという変な存在」が参加するようになった事も今に続く山岳部の原型が形作られたという意味で特筆に値することだと思います。今でこそ当たり前のOBですが、なるほど考えてみると変な存在です。しかしこの年の合宿のしおりの中に「OB おまけBOY」と書いてあるのを見てうれしくなりました。誰が考えた言葉かは分かりませんがうちの部のOBははじめから「おまけ」だったのです。それ以上のものではないという安心感がどれほど部の人間関係を滑らかにしたことでしょうか。とにかくこの年から現役がバテても荷物を持ってくれる人ができたのであります。食事の面で興味深いのは女子合宿に出された天ぷらについてです。記録にはチーズ天ぷらなどが評判良かったようですが、量を作るのに時間がかかるためみんな一度に食べられないという問題があるようです。ちなみにこの年、第4次中東戦争の影響でオイルショックが起きましたが、山岳部員がレッペ確保のためにスーパーへ殺到したかは記録にありません。

 

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