付録 昭和57年度の山岳部
私が部長をやっていた時代(正確には56年11月ごろ〜58年5月まで)を振り返り、それを一言で表わせと言われたら、私は迷わず「波瀾万丈」と答えるでしょう。
昭和57年4月1日、私たち13回生はそろって2年生に進級し(かろうじて)当然起こりうる問題として、新人部員の勧誘ということになりました。とにかく明るい家庭的雰囲気を前面に押し出そうと計画しましたが、それに反し、クラブ紹介での部長(私)に話は非常に暗く、そのせいもあってか仮入部した部員はたったの3人!(含須藤)。そのうえ、仮入部時代の後輩への接し方が悪かったのか、はたまたランニング時の須藤行方不明事件が良くなかったのか(須藤君、ごめんなさい)、その3人は結局入部せず、やめてしまいました。残された2年生4人は、大いにあせりました。ただでさえ毎年(15人のクラブ最低人数をそろえるのに)、幽霊部員にお世話になっているのに、このうえ新人が1人もいないとなると・・・。その時、うろたえる私たちに「どうにかなるさ」と言って励まして下さったのは林先生でした。
後輩のいないクラブはやはり寂しいものでした。教室でクラスの友人が、「うちのクラブの1年がさぁ、・・・」と楽しそうに話すのを聞く時、私はやり場のない悲しみと、自分の無力さに対する激しい怒りを感じていました。そんなある日、ある2年生2人が山岳部に入りたがっているという話を耳にしました。私が喜んだのは言うまでもなく、けれども今から思うと、このことが悩める山岳部をさらに悩ませる結果になってしまったのでした。
そうこうしているうちに、毎年恒例の雨の中の合宿訓練も終わり、いよいよ夏の合宿ということになりました。この年の合宿は、部員の強い要望もあり、早い時期から南アルプス南部ということに決まっていました。私も期末テストそっちのけで計画書作りに熱中しました。ところが出発前日になって、本州は台風10号の直撃を受け、がけ崩れなどで中央線はもちろんのこと、飯田線までも不通になってしまいました。やむをえず延期を余儀なくされた私達の耳に入ったニュースは、「中央線は復旧の見通し立たず」ということでした。その上南アルプスは特に被害がひどく、山道もかなり荒れているということで、場所もかえなくてはならなくなりました。ところがそうなると、部員同士の話し合いはなかなかまとまらず、結局一部不賛成のまま、期間は8月13日〜17日とお盆の真っ只中、場所は北アルプス穂高山系と人の真っ只中という悲惨なものになってしまいました。悪い事は重なるもので、やっとたどりついた山の上では悪天候に見舞われ、せっかくの奥穂高岳に登りながら視界0、唯一の収穫は、雨が顔にあたると痛いものだと思い知らされた事でした。
合宿が終わると、一人二人と山行に参加しない部員が目立ってきました。よほど合宿にこりたのでしょう。夏の合宿が不本意に終わってしまったので、必然的に私達の期待は10月1日〜3日の3連休の八ヶ岳へと高まりました。この時の山行は、天候にもまあまあ恵まれ(2日目は多少降られたが)、参加人数の少なさを除けば一応成功したと言えるでしょう。
秋になれば1人ぐらい新人が入ってくるだろう、という当初からの淡い期待にも裏切られ、なんだかんだと言っているうちに、57年度もあと2ヵ月というころになったある日、私は突然、背筋がゾッとするような事を聞かされました。それは、山岳部としてはまだ何もしていないのに、58年度の予算の受付をすでにしめ切ったという事でした。前年の経験から言って、2月に入ってからだろうと甘く見ていたのがいけなかったのでした。この事については後輩諸君に大変迷惑をかけたことを、おわびいたします。今から思うと、この10月からの山岳部は、だれにだれきっていたように思います。練習にもあまり出て来なくなったし、早々と引退する人はいたし・・・。
このだれた山岳部は、極めつけの3月の「おい出し山行」へと続きます。あのころのだれきった私達の姿を見て、先輩方はきっと心の中で嘆いたにちがいありません。帰りのバスの中で、先生や先輩方の立っている目の前で、現役部員が堂々と座って笑い声をあげていたあの時の光景を思い出すたびに、私は胸が熱くなります。
私は思いました、「これじゃ後輩がついてくるわけがない、このままじゃいけないんだ」と。幸い副部長が私の話に耳を傾けてくれたため、何とか山岳部を立て直す事ができそうになりました。しかし不安がなくなったわけではありません。今度は新人が入ってくれるのかどうか・・・。
このまま私のこの文がここで終わると、一番初めに書いた「波瀾万丈」の4字は、おそらく「悲劇」となっていたにちがいありません。しかし今の山岳部を見て下さい。部員もちゃんとそろっているし、運営もうまくいっているようです。何で急にあんなにたくさんの部員が入ってきたのか、今でもわかりません。現在の部員は、私達のあの暗黒の時代を知りません。あの悲しい思い出は、私達13回生だけでたくさんです。
「終わり良ければすべてよし」とはよくいったものです。心置きなく後輩に部長の座を明け渡すというハッピーエンドの私の部長時代を、どうして悲劇という事ができましょうか。
最後に、暗黒時代を心温かく見守って下さった林先生、中田先生、小苅米先生ならびに先輩の方々に、心から御礼申し上げたいと思います。どうもありがとうございました。
(後略)
岡根正樹(13回生)
1985(昭和60)年5月9日発行「都立国分寺高校山岳部第2期OB会会報第2号」より転載