小池荘介(東京医科大学医学部教授 救命救急センター部長)監修『高齢者・乳幼児の不慮の事故予防マニュアル』より引用



III 入浴中の急病・事故

1.入浴中の急病・事故の実態

(1) 救急統計資料から推測する入浴中急死の実態
 1997年中、東京郡では3,025人の救急患者が入浴中に発生し、そのうちの1,421人(47%が65歳以上である。このことは、人口構成を考慮すれば高齢者ほど入浴中の急病・事故を発症しやすいことを示している。
 また、65歳未満では救急搬送件数のうちの7.4%が心肺停止であるのに対して、65歳以上の高齢者では33.8%が心肺停止である。すなわち高齢者では、入浴中の急病・事故がより重症化しやすいことがうかがえる(図3-1)。


(2) 入浴中に心肺停止を起こした患者の既往歴(普段の健康状態)
  心肺停止例の約半数は有病者であり、そのなかでも循環器疾患が多い(図3-2)。

(3) 入浴中に心肺停止を起こした患者の家族状況
 心肺停止の多くは、家族同居の状況で発生しており、一人暮らしは3%にすぎない。
 これは、犠牲者が家庭内に救助者を求めることが可能な家族構成が多いことを示唆している(図3-3)。

 逆に言えば、このことは、家庭内に家族がいても救助を求め得ない状況で急死が発生した可能性を強く示唆するものである。

(4) 入浴中の心肺停止と浴室の種類
 入浴中の救急搬送全体に占める心肺停止の割合は、自宅よりも公衆浴場のほうが低く、高齢者においても非高齢者においても、この関係は同様である。したがって、以下の二通リの解釈ができる。
 a 公衆浴場では早期発見により心肺停止の割合が減少する。
 b 公衆浴場ではすぐに救急要請を行う傾向にあり、そのために救急要請全体に対する心肺停止の割合が少ない(図3-4)。


2.入浴中の急病・事故の原因

 いずれの法医学的報告でも、心疾患、脳血管障害、溺死が.三大原因であると言われているが、その頻度には報告者により明らかな差が認められ、法医学的な死因の確定が困難であることが示唆される。
 さて、本邦の入浴様式の特徴は「高温浴及ぴ全身浴」である。この温浴が急死の原因となりうる機序は、厳密には解明されていないが、理論的には、温浴は高体温と水浸(水に浸かること)の2種類の負荷として身体に様々な影響を及ぼす。
 高体温は血管鉱張と心拍出量増加、頻脈を誘発し、水浸は静水圧が表在血管を圧迫して心臓に戻る血液量を多くする。湯の温度、水位(湯の深さ)、入浴時間などの諸因子により、負荷の程度は様々に変化する。

3.予防策

(1) 安全な入浴の啓発
 高齢者とその家族を対象に、入浴の危険について注意を促すことが重要である。高齢者の心理は複雑であり、いたずらに危険を強調しても啓発の効果はあがらない。安全な入浴法の啓発は、高齢者の長年の生活習慣を変化させるものであるから、心理的な抵抗があることは当然である。したがって、啓発に際しては心理的な種々のサポートが必要である。



入浴急死の三大因子(心疾患、脳血管障害、溺水)の入浴負荷が誘因となりうる機序

a 心疾患
 冠動脈疾患の患者では、動脈の狭窄などのために、冠動脈により多くの血流を流すことができない。そのため入浴、特に高温の全身浴によりもたらされる血圧上昇、頻脈、静脈還流の増加などに対応して冠動脈の血流を十分一に増加させることができずに、結果として心筋に酸素不足(心筋虚血)
の状態が誘発されやすい。その結果として、胸痛、呼吸困難、危険な不整脈、血圧低下などが誘発され、急死する可能性があると考えられる。

b 脳血管障害
 高温浴では、血圧が著明に上昇するので、脳出血、クモ膜下出血の誘因となる。これら疾患のために瞬間死することは少ないが、意識を失い浴槽中に溺没するために容易に死に至ると推測される。また浴室温度が低いと、寒冷刺激のために洗い場で血圧が上昇し、脳出血、クモ膜下出血の誘因となり得る。

c 溺水
 入浴中に浴槽内で溺没するためには、溺没の前に意識障害に陥っていることが必要なはずである。入浴中の血圧変動、特に血圧低下が意識障害を発生する可能性があると言われている。もう一つの機序は、いわゆる「湯あたり」、「のぼせ」と言われる病態である。湯あたりは、温泉などで入浴時間が長くなると入浴者の意識が低下し、他の入浴者が介助して浴槽から搬出すると、自然に回復する病態である。一人で入浴中の高齢者に「湯あたり」が発生すれば、意識を失い、やがて溺没する,、この背景には、高齢者の脆弱性(体力の低下、各種の予備能力の低下)及び高齢者に特有の感覚低下(高温浴を熱いと感じない、長湯をしてもゆだったと感じないなど)が存在する。

 (2) 半身浴の是非
 半身浴は入浴の危険防止に有効である可能性がある。湯から身体への熱伝搬の効率を低下させるので、湯に接する体表面積を減少させて体温上昇の防止には効果的であると考えられる。さらに静水圧の負荷される面板が減少するので、心臓への負荷増大を減少させる効果も期待されている。

 (3) 入浴習慣の改善に自発的な興味を持たせる
 高齢者、特に心・脳循環予備能の少ない患者、高血圧忠者では生活指導のなかに人海指導を含めることが必要である。日本人の人浴温度の平均は夏は380℃、冬では42.3℃と言われている。
 冬季には更衣室、洗い場の温度が低く、体表温も低下するので常温浴になり急死の誘因となる。浴室全体を温かく保ち、冬季でも41.0℃以下の入浴を可能としたい。
 このために、十分な暖房設備を浴室に完備することが必要である。

 (4) 浴槽用の温度計の活用
 高齢者に興味をもたせる方法の一つに、「浴槽の湯温測定」があげられる。このためには市販されている浴槽用の温度計が廉価で便利である。

 (5) 浴室の時計
 浴室に時計があれば、入浴時間の調節とともに脈拍数の自己測定ができるので有用である、入浴、特に浴槽内での入浴時間をなるべく短くすることが必要である。「烏の行水」が高体温の防止に安全である。簡単な目安として、脈拍が上昇しない人浴を心掛ける。

 (6) 飲酒と入浴の順番
 飲酒後には血圧が低下しやすいので、酩酊していなくとも飲酒後の入浴は危険である。
 飲酒したら入浴を控えさせる。

 (7) 入浴時に家族が声を掛ける、あるいは入浴を介助する
 入浴前に必ず家族に声を掛けさせる。浴室の非常ペルは意識障害のために役に立たない可能性が高い。すでに述べたように、心肺停止例でも家族同居の例が多いので、家族はいつも入浴中の高齢者に注意して声をたびたび掛ける習慣を身につける。最も安全な入浴方法は入浴介助、すなわち高齢者と一緒に風呂に人ることである。

 (8)一人暮らしの高齢者の場合
 公衆浴場の利用をすすめる。周囲には他の入浴客がいるため、異常時の早期発見と救助などが容易である。




4.異常を発見した場合の対処

[1] 入浴中の意識障害を認めたら、顎を風呂蓋に乗せて溺没を防ぐ。

[2] 湯栓を抜く。

[3] 力があれば、患者を浴槽から搬出する。その後で救急要請する。

[4] 力がなければ、搬出せず救急要請する。

[5] 患者を浴槽から救出できれば、仰臥位として患者の呼吸を確認する。

 呼吸がなければ口対口の人工呼吸をまず2回、続いて頚動脈拍動を触知して脈が触れなければ心服マッーサージーを15回行う。人工呼吸と心臓マッサージを繰り返して、救急隊の到着を待つ。





小池荘介(東京医科大学医学部教授 救命救急センター部長)監修『高齢者・乳幼児の不慮の事故予防マニュアル』より引用